なぜ、私は立体をやるのか?

なぜ、私は立体をやるのか? 1024 768 ゆらまき

昔言葉にできなかったことを、いま。

 

自分が存在してる実感

—好みや癖、目や他の五感との

バランス、自然な手の動き、
気持ち良いまたは嫌いな触りごこち—

目に見えないわたしのこころを

五感で触れる存在として!

厚み、高さ、奥行きをもって
映し出し、描き出し、体験することができる。

それが1番大きいですね!

私が立体を作るときには、
強いこだわりがあります。
それは13歳の時から。自分の足で
ちゃんと立ち上がっているものでないと
作りたくない。納得がいかないのです。

それはとても難しいし、手間もかかるのですが。

背中に透明な棒がつっかけて立たせてあったり、自分で立つことができない。
何かに持たせかけてある。
1つの解決策であることは理解していますが、
わたしの中で違和感を感じます。

素材自体で重心のバランスをとり、
今ここにある自分そのもので地面から、
この地球の中心から
立ち上がっていることが、
わたしにとってとても大事なのです。

立体は、今ある素材、
すべてのパーツを全ての側面を
理解し、感覚的に1つに纏め上げられたとき
初めて立つことができます。

わたしが立体をやるのは、
この感覚が粘土だけでなく、
人間が肉体的にも精神的にも立ちあがる感覚と
相通じるものだからなのでしょう。

だから、ビジネスや家族関係、
あらゆる場面で応用することが
できるのではないか?とも思えるのです。

時々フィギュアの背中で見かける透明な支え棒。
それは、親の七光りのようなものであったり、
自分の体の健康、考え・生き様を
他人に預けてしまうようなこととも
通ずるとは思いませんか?

将来、5年先、もはや2年先は、
もう想像もつかないような現代。
これからさらにバーチャルな技術や
世界の広がりが、
私たちの想像つかない未来に待っています。

わたしが80歳になる頃には、
もうどうなっていることか!
想像もつかない考え方や体の使い方をする世代が
きっと世界を牽引しているでしょう。

情報は、世界を駆け巡る身軽さに比例して、
肉体から離れていきます。

それがよりスタンダードになってゆく時、
私たちは今よりもさらに
自分の存在を実感し、認めることが
難しくなっていくでしょう。
それは想像にたやすいことです。

その時代こそ、
自分の肉体、五感、mind全てをひっくるめ、
3次元的に自分の存在を
深く実感していく体験やワークショップが
欠かせないものとなると考えています。

この自分のフィロソフィーを掘り下げて、

また粘土のワークショップをつくります😆!

 

サステナブル デザインスタジオ HANDS
https://yuramaki.com/

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